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[ 寄稿文 ] 生産性新聞 - 検証 岐阜県の産業史

2022.04.25

地域発!現場検証シリーズ[100年企業]

検証 岐阜県の産業史
生産性新聞 地域発!現場検証シリーズ[100年企業]検証 岐阜県の産業史

検証 岐阜県の産業史

東海クロスメディア 代表取締役 三輪知生

1.岐阜県の地理的条件-内陸県の情景・景観

 岐阜県は内陸県であるが、飛騨エリアで北へ流れる宮川、美濃エリアで南へ流れる木曽川、長良川、揖斐川(木曽三川)と、水量豊かな川の水資源に恵まれている。川の流れは馬車や自動車用の道路、鉄道用の線路が整備されるまで物通経路として重要な役割を果たし、県産品を下流域に提供して地域の発展に貢献した。また、森林率が81%と高知県に次ぐ二番目に森林資源に恵まれ、江戸時代に飛騨高山は良質な木材や鉱物資源の産地として天領とされた。現在の岐阜市も和傘や絹織物の産地として直轄統治され、商工業の中心地として発展した。

 川と山で地域が隔てられている岐阜県は、飛騨地域と美濃地域さらに美濃地域は東濃・中濃・岐阜・西濃の四地域に区分され、それぞれ経済圏を形成した。東濃で陶磁器、中濃で和紙や刃物、岐阜で和傘、繊維といった地場産業の集積地がある。近代には全域で、電気機械、一般機械、自動車・航空機等の輸送用機器に至るまで幅広く生産され、日本のモノづくり産業を支えている。

2.産業史の背景「土」「木」「糸」「鉄」そして「水」

 岐阜県を内含する中部地域の産業史を紐解くと、豊かな自然環境に育まれた「土」「木」「水」などの天然資源や、「糸」「鉄」などの産業資材が根幹を成していることがわかる。

 「土」の系譜-平安時代末期より岐阜・東濃では良質な陶土が採掘され、山を隔てた愛知・瀬戸と共に陶業・窯業が盛んとなり、近代的な陶磁器産業が名古屋で発展して一大輸出産業となる礎を築いた。

 「木」の系譜-江戸時代、岐阜は良質な木材の供給地であった。明治時代に下流域の名古屋を中心に近代工業が発展したが、木工加工や組立技術など「木」の産業基盤がその礎となった。置時計や鉄道車両が木製で加工・組立され、後の航空機産業の発展を導いた。

 「糸」の系譜-江戸時代より岐阜では養蚕業が盛んに行われ、明治時代に綿織物の一大産地となった愛知を真綿の供給地として支えた。「あゝ野麦峠」は当時の厳しい就労環境を描いたほか、日本三名泉の一つの下呂温泉が商人宿として発展した。その後、自動織機など「糸」の産業技術を礎として自動車産業が発展していった。

 「鉄」の系譜-「木」を素材とする機械や建造物は、明治時代に「鉄」を素材とするようになった。一方、製鉄に目を向けると第二次大戦後まで、この地域は本格的な高炉を備えた製鉄所を持たず、電気炉による鉄鋼業が育ったことから電気需要が増大した。

 「水」の系譜-木曽川と揖斐川では明治から始まった電気需要に応えるべく電源開発がなされるようになり、中流域の岐阜は電気の供給地でもあった。木曽川水系では福沢諭吉の娘婿の福沢桃介が、ダム建設を伴う水力発電による電気事業を取り仕切り電力王と呼ばれた。

 物流の中継基地の川港は商人街として栄え、栗きんとんや鮎菓子などの土産物が人気を博した。また、豊な水資源を活かした醤油、酢、味醂、日本酒などが醸造され、商人の手により全国に流通していった。

川が育んだ蔵元25社

「100年パワー」のDNA脈々と

3.100年企業で最多業種は清酒製造業

 岐阜県の地理的条件と産業史の背景を俯瞰すると、産業基盤として「水」の系譜が最も重要な役割を果たしてきたことがわかる。そして、県内の100年企業に目を向けると約650社存在しており、業種別では清酒製造業が25社で最多となっている。

 岐阜県酒造組合連合会によると組合に所属する酒蔵は現在44あり、その半数以上が100年企業である。岐阜県の蔵元紹介でもわかる通り、大半の酒蔵は4つの大きな川の流域に位置し、良質な川の伏流水があるからこそ、清酒製造業が盛んであることが見てとれる(15、21、32は欠番、36は閉鎖)。

岐阜県の蔵元紹介
岐阜県の蔵元紹介

 岐阜県最古の酒蔵は、木曽川支流の飛騨川沿いにある創業1860年の天領酒造株式会社(下呂市)。同じ飛騨川沿いにある白扇酒造株式会社(川辺町)では高級料亭などで選ばれる福来純本みりんを生産し、揖斐川流域の渡辺酒造醸(大垣市)では女性杜氏が活躍するなど、特徴ある酒類製造に取り組む。

4.長良川中流域にある清酒「長良川」小町酒造

 木曽三川で長良川だけ近代にダム建設を伴う電源開発がなされず、四万十川(高知県)、柿田川(静岡県)と共に日本三大清流と呼ばれている。長良川流域には8つの酒蔵があり、小町酒造株式会社(各務原市)では「長良川」を銘柄に冠して清酒を醸造している。当社は創業1894年(明治27年)の100年企業で、現社長で杜氏の金武直文氏(51歳)で五代目となる。社外に依存していた清酒の仕込みを内製化するべく、東京農業大学醸造学部で学び百貨店での販売経験を経て、新潟県の酒蔵で修業した後に入社した。

 各務原には中山道鵜沼宿があり、古くは東西の文化が交流する街として栄えた。金武家は地域のまとめ役の家柄で、地元の米が集まったことから酒造を始めた。1954年に金武酒造株式会社として会社設立の後、1964年に小町酒造株式会社に社名を変更した。「長良川」を冠するようになったのは1978年のこと。そして、酵母の発酵環境をできるだけ自然に近づけるとの先代社長の発想から、1988年より環境音楽を酒蔵全域に響かせて清酒の発酵を行う「自然音楽仕込で醸す酒蔵」としてブランドを確立していった。

 当社に危機が訪れたのは1992年(平成4年)に日本酒級別制度が廃止されたことに起因する。「特級」「一級」など等級別に酒税割合が決められて市場に流通した清酒が価格自由化すると共に、大手酒造メーカーの低価格商品や、新潟ブランドに代表される"淡麗辛口ブーム"に影響されるようになり販売量が減少した。より一層ブランド力を高める必要性に駆られた当社は海外販路の開拓や、より広く飲酒機会に対応できるよう柚子酒などリキュール類の製造販売に取り組んだ。また、1999年に現社長へ交代するタイミングで恒温室の新工場を設営して、年間を通して味も香りも良質で安定した酒類製造の環境を整えて、「選ばれる酒蔵」の地位確立に向けて邁進している。

5.VUCAの時代に新たに求められる企業姿勢

 VUCAの時代と言われる今日。新たに求められる企業姿勢は、激変する環境に適応するに留まらず、自らの意志と勇気ある実行力で未来を切り拓いていくことである。小町酒造も然り、100年企業にはその実行力がDNAとして脈々と受け継がれているからこそ存続していると言える。