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[シナリオ]Turning Point モノづくり編205 逆境をバネに"突き抜ける発想"で事業拡大

2018.07.07

逆境をバネに"突き抜ける発想"で事業拡大

 

株式会社飛騨仏壇工匠館(高山市)

[全文公開]番組シナリオ

1.背 景

ここは高山市にある仏壇店。仏壇といえば豪華な装飾の金仏壇が代表的であるのだが、このフロアに並べられている仏壇はどれも、現代人のライフスタイルにマッチしたモダンなデザインのものばかりだ。コンパクトかつシンプルなデザインは、従来の仏壇のイメージを大きく変える商品として、首都圏をはじめ全国各地から注文が寄せられるという。

高齢化社会の到来で、仏壇産業は相対的に安定した成熟市場である。現在、年間死亡者数が110万人程度のところ、2030年頃には160~170万人に推移し今後10数年は底堅く推移するとの見方も。しかしながら、卸売業者による生産の外国企業委託や宗教用具全体の消費低迷により停滞し出荷額は毎年減少し続けており、ここ10年間で市場規模は半減している。

年間の仏壇販売数の7割以上を輸入仏壇、うち中国製が販売総数の約5割、輸入総数の約7割を占めており、低価格化と国産高級品の販売低下を招く結果となっている。また、仏壇は部品ごとに海外調達比率に相当な差が生じており、「彫刻」、「屋根」、「宮殿」は海外調達比率が高い。その一方で、木地、塗り、箔、仕上は高い国内比率を保っている。

2.由 来

最近の一人あたりの仏壇、仏具の客単価は30~40万円と言われている。以前は平均で50万円以上であったが、販売価格が低下していることや、宗教心の薄れなどにより、掛けるお金も減ってきている事になる。しかも、マンションなど都心部の住環境には和室や仏間がない場合も多く、国内仏壇産業の斜陽化は下げ止まらず、業界の危機感は増している。

逆風が吹き荒れる中、高校を卒業して同業者での修行の後、家族経営の仏壇店であった飛騨仏壇センターに1996年に入社、先代社長の父親から2000年にバトンタッチして(株)飛騨仏壇工匠館に法人化した現社長の兼松利昌氏。このままではいけないと情熱を注ぎ努力を積み重ね、内製化の充実を推し進め、明確な目標設定のもとで改革を推し進めてきた。

純日本風の家屋に住む人が減り、洋風住宅が増えてきたことからモダンな仏壇の製造に着手。2008年・2010年には、東京で開催された「こんな仏壇あったらいいなコンテスト」で、春慶仏壇「円」が受賞。続いてコンパクトなモダン仏壇『キュービックURUSI』が二度目の受賞を果たしたことで、現代のライフスタイルにマッチした自社の仏壇が認知されるきっかけとなった。

3.本 題

兼松社長は、従来品を真似た中国製品と戦っては存続していけないとの危機感から、飛騨高山が誇る木工や箔、春慶塗りの職人を抱えたメーカーとなることを決意。伝統工芸の強みを活かしつつ、より消費者のニーズに即したオリジナル商品を世に送り出して、安価な海外品との差別化を図りたいとの想いから、現在の体制を整え、モダンでコンパクトな仏壇を開発した。

サイズはコンパクトだが、造りはとことん本物にこだわり、部材にはすべて天然の無垢材を使用し、伝統工法を用いて組み立てている。また、内部にも職人の細やかな技術をふんだんに用いた細工を施し、他では真似のできないオンリーワン商品に仕上げている。また、より多くの人々に接して欲しいと店舗を各務原市内にも設営し、美濃地域にも営業展開を始めた。

さらには、職人の匠の技を活かせる仕事として、神輿や外宮、獅子頭などの神事に用いられる神具類の修理・製造にも乗り出し、全国から依頼が寄せられるようになってきている。今後は、インテリア・ライフスタイルショーなどの展示会への出店も視野に入れ、新しい販路の拡大や仏壇だけでなく仏具も含めたオリジナル・シリーズの開発に着手していく計画だ。

4.解 説

核家族化の進行や、仏間がない家が増えるなど、日本人のライフスタイルや住宅事情が変化してきたことで、仏壇業界を取り巻く環境は厳しい状況となっています。また、仏壇や仏具は日本古来の伝統的なものですが、安価な海外からの輸入品に押さ、国内で生産される製品や、職人による匠の技が失われつつあるのが現状です。

ご覧戴いた兼松社長は、匠の技や伝統工芸の魅力を強みとして、モダンな仏壇を開発し、お祭り用品にも取り組んだことから、会社の規模や業績を向上させました。柔軟な発想で環境の変化に立ち向かい、消費者のニーズにマッチした新商品を開発し、新しい分野にも挑戦したことが、成功への分岐点になったと云えるでしょう。

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