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[シナリオ]Turning Point モノづくり編204 "原点回帰の発想"から"ニッチな市場"を開拓!

2018.07.08

"原点回帰の発想"から"ニッチな市場"を開拓!

 

山田木管工業所(山県市)

[全文公開]番組シナリオ

1.背 景

ここは岐阜市長良にある書籍や生活雑貨、文具を取り扱うザ・リブレット長良店。この店舗の壁を彩る日本手ぬぐい入りの額縁は、インテリアに気を配る女性たちに人気の商品だ。部屋の雰囲気にあった色の額縁を選び、季節の絵柄や色とりどりのお気に入りの日本手ぬぐいを入れ替えて楽しめるところが人気の秘訣らしい。

壁に掛けるものとしては他に、ポスターフレームや好きなスポーツ選手のものを飾るユニフォームフレームなどがある。また、卓上用としては絵葉書用からミニカー用、そしてちょっと変わったところでは御朱印帳フレームなども取り揃えられている。いずれもお客様の声から始まったもので、それぞれ根強いファンがいる。

この額縁を製造しているのは、山県市に本社・工場のある山田木管工業所。こうしたインテリアショップでの取り扱いのほか、自社でインターネット上で販売するネットショップを展開している。ネット上では後発ながら、一番売れている手ぬぐい額ランキングで200週以上1位を維持し、顧客満足度でも表彰されている。

2.由 来

山田木管工業所は1951年(昭和26年)創業の木工所として、当時は繊維の町に糸巻き用の木の芯(=木管)を生産していたが、時代の流れと共に木管は材質がプラスチック製に、そして紙管へと移り変ったことでニーズが減ってしまった。それからは建築製材、洋食器や照明器具の木製部品へとシフトさせていった。

家具やキッチン用の扉を製造し始めてからは順調に業績を伸ばし、2002年(平成14年)には新工場を開設して業容拡大していたところ、大手の取引先であったシステムキッチン棚のメーカーが海外に工場移転したことによって仕事は激減してしまい、このままでは廃業の危機に見舞われてしまうとの危機感に苛まれた。

社長を引き継いでいた山田社長は、下請けだけでは時代に左右されてしまい安定した会社経営が出来ない、オリジナル商品を作りたい、という想いを抱くようになり思案する日々を過ごした。2009年5月に伊勢神宮へ家族で参拝に行った際に買った手ぬぐいを飾りたいとの奥さんの要望が、額縁をつくるきっかけとなった。

3.本 題

家具やキッチン用の扉を生産していたことから、建材を綺麗にラッピングする技術や、コーナーを強固に接着する技術があったことで、安定して高い品質の額縁を量産することができることが試作の段階でわかった。自社の技術を活かして競争力のある商品をプロデュースできることを確信し、自社商品とすることを決断した。

ちょうどその頃、日本手ぬぐいが見直されて静かなブームとなり出していた。また、ネットショップでの販売展開の話が寄せられ、試しに出品してみたところ予想以上に売れ行き上がったことから、自社での出店に踏み切ることとした。次第に日本一手ぬぐい額を売るメーカーとして認知されるようになり、今日に至っている。

現在では手ぬぐいをスタイリッシュに飾る『ハーフ額』、曲線を生かして手ぬぐいの新たな表情を創り出す『ゆらゆら額』、ハンカチやユニフォームを入れる額などの展開も始めている。また、ネット販売に留まらず取り扱い店舗を増やしていくために、バイヤーとの出会いを求めて、東京で行われる展示会にも出展している。

4.解 説

全国的に木工加工業は、完成品メーカーが海外に工場を移転したことや、材料がプラスチックに置き換えられたことによって、市場規模が大幅に縮小しています。豊かな森林資源を守ることは大切なことですが、林業や木工を営みにしている事業者にとって、木材や木工製品の価値が高くならないと、生計が成り立ちません。

ご覧戴いた山田社長は、オリジナル商品を持たなければならないと痛感し、今ある人材、技術、設備で何ができるのかを考えて、自社商品の開発に成功しました。環境の変化に立ち向かい、身の丈にあったニッチな市場に狙いを定め、原点回帰の発想で自社商品を開発したことが、成功への分岐点になったと云えるでしょう。

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