"突き抜ける発想"でヒット商品連発!
有限会社大橋量器(大垣市)
[全文公開]番組シナリオ
1.背 景
ここは水都と呼ばれる大垣市は、古くから東西交通の要衝として、経済・文化の交流点として栄えてきた。市内中心部を流れる水門川のほとりに「枡工房ますや」という、ちょっと変わった木枡を数多く取り扱う小さなお店がある。中に入ってみると、光を放つものなど、確かに珍しい枡が所狭しと並べられている。
このお店は、隣に工場がある大橋量器という枡のメーカーが情報発信拠点として2005年に開店したものだ。一見、質素に見えるがその実は意外にも、世界中で注目を浴びる商品が次々と生み出されている。2013年には高級ファッションブランドのポールスミスのニューヨーク店でも取り扱いがスタートした。
枡は本来、米を計量する器として用いられていたもので、1960年代からは日本酒を入れる器として使われてきたが、いずれの用途も減少の一途を辿っている。その一方で、プロダクトデザイナーの力を借りるなどして新しい価値を提案する枡が生み出され、洒落たインテリアとして世界中で注目され始めている。
2.由 来
大垣市には升メーカーが5社あり、東濃や木曽のヒノキを材料に用いて昔ながらのほぞ組みで年間約200万個を生産し、全国の生産量の8割のシェアを誇る。その中心的な存在として、市内のメーカーを束ねて大垣「ます」生産者実行委員会を設立するなど牽引役を果たしているのは、大橋量器の大橋博行社長だ。
大手コンピューター会社で営業職に従事していた大橋社長は、1993年に3代目に就任するために故郷に戻ってきた。最初の一年間は、最先端で華やかな大企業で働いていたのに木升づくりは時代遅れだと感じ、憂鬱な日々を送っていた。最盛期に一億円あった売上も、その当時は半分に落ち込んでいたのだった。
大橋社長は、妻や子供のためにもやるしかない、と危機感から奮起して営業に駆け回り、ストラップ、八角升や長方形の升など、形や用途の変わった新商品に活路を見出した。また、それら新商品が話題となって従来品もよく売れるようになり、2014年にはかつての最盛期を超える1.6億円の売上を達成した。
3.本 題
枡の製造は、正月用や節分用の注文が入る冬場がピークだ。本来の用途で使う機会は激減してはいるが、枡は「増す」との語呂合せから、お祝いの席などの縁起物として、また酒席でもまだまだ活用される場面はある。しかしながら大橋量器では、その枠組みから突き抜ける発想で、新たな市場を開拓し続けている。
「癒します(灯します・願いかなえます・枡ストラップの3商品)」と命名されたシリーズは、「大垣ブランド製品」に認定された。さらには多彩な商品バリエーションと開発力で枡の様々な活用法を提案し、容器としての枡の用途を超越した商品も次々と生み出しており、入手困難な大ヒット商品に育ったものも。
大橋量器では、ローカル鉄道に乗って地域の料理と木升で地酒を楽しむ「全国升酒列車」を2014年から企画し、15年秋には平成筑豊鉄道(福岡)や弘南鉄道(青森)、上毛電気鉄道(群馬)で運行した。今後もこうしたワクワクして楽しい企画を催行し、木升の需要を創出していきたいと大橋社長は熱く語る。
4.解 説
大垣市は全国の生産量の8割を誇る、枡の一大産地です。本来、お米の分量を計る器として用いられた枡は、計量カップや数値で分かる重量計に役割を譲りました。その後、日本酒を入れて飲む器として使われてきましたが、酒の消費が減る中で、お正月や節分用のニーズはあるものの、使われる機会が減少してしまったのです。
ご覧戴いた大橋社長は、現状を目の前にして危機感にかられ、それまでは断っていた形や用途の違う新商品に活路を見出して、数々の話題の商品を生み出しました。厳しい環境の変化に立ち向かい、自社の強みをもとに柔軟な発想と突き抜けるアイデアで新商品を開発し続けたことが、成功への分岐点になったと云えるでしょう。
完