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[ 寄稿文 ]岐阜高校同窓会会報誌より

2018.08.06

岐阜県立岐阜高等学校同窓会

 

平成29年度 会報 百折不撓 

国家の為に明け暮れ学ぶ

三輪知生(昭和59年卒)

私はいま、国(経済産業省中小企業庁)が全国に設置する経営相談所『よろず支援拠点』で、岐阜県の代表職(チーフコーディネーター)に就いています。従来の公的支援機関(商工会/会議所や県産業振興センターなど)は、公的支援制度のサービスプロバイダーとしての役割を担い、その普及および活用促進に務めています。一方で『よろず支援拠点』は、中小企業に寄り添いその経営課題を直視し、経営者と共に課題解決に立ち向かうことを役割期待として担う、公設のコンサルティングファームであることが社会的な使命です。47都道府県に平成26年度より設置されており、経営課題のソリューションプロバイダーとしての機能を果たしています。

岐高生三代目である私は教職員を祖父母に持ち、親戚に病院経営者や新聞社幹部(当時)がおり、果たすべき社会的使命について高校時代よく考えていました。同窓生の皆さまにとって、岐阜高校の校歌にある「百折不撓つとめて止まず」が岐高生であることを代表する信条として、心に刻まれていることと思います。かたや私にとって最も深く心に刻まれているのは「国家の為に明け暮れ学ぶ」なのです。2年次は男子クラスで望月俊実先生に、そして3年次は岩田孝志先生に、とても厳しく多くのことを教えて戴きました。「国家のために」怠惰になってはならないと、厳しく「明け暮れ学ぶ」姿勢を身につけることができた事こそが、自己を規定する上での最も重要な学びでした。

幼少期に香港で育ったことから途上国経済の発展に興味を持ち、大学では開発経済学を専攻。また、仕事でも海外と接点を持ちたいとの想いで米国に交換留学しました。そしてバブルの絶頂期に工作機械メーカーに入社し、東南アジアを担当したほか国内営業で大手自動車メーカーグループ担当にも従事しました。そうした経験を買われて商社に転職し、即戦力として海外勤務に出たのが1996年。念願叶って途上国の経済発展に寄与する実感を噛み締めていた処、日本企業の海外展開が進む一方、空洞化する日本の産業構造に直面したのでした。私の関心事が「途上国経済の発展」から「日本の空洞化への対処」に転換したのは、マニラに赴任していた2002年頃のことです。

日本に帰任後、マネジメントに関わり後輩人材も育ち仕事に一区切りついたちょうどその頃、経済産業省のシンクタンクが経営コンサルタントの養成塾を開講していることを知りました。この塾との出会いが「日本の空洞化への対処」に舵を切るターニングポイント=人生の分岐点となり、民間人として国の予算事業に関わる私が、今ここにあります。そして、これからも「国家の為に明け暮れ学ぶ」所存です。